片岡マンドリン研究所
日記

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2007年04月19日  練習をするということの意味?

1っの曲を自分の表現にする、そして人に聞いてもらう。
これっていったい何なのだろう?

今日、「目標をどこに置けばいいのですか?」 と聴かれました。
そして、「到達点はどこにあるのですか?」「どこまで練習すればいいのですか?」

「終点はないのよ・・・」「????」

音楽の表現には試験のように点数はないのよね。コンクールなどではある基準があって点数をつけるけれどこれも先生の主観が大きいし、「マイナス−方式」だし、です。

まずは、正しく弾けるようになることなんだけど、それは音符を音に変換しただけですよね。
そこから、自分の出す音に命を与えていかなければいけないのだけど、これが難しいわけです。
はじめは真似からというけれど、真似ではその人を追い越すことは決してできないし、自分の気持ちを表現できないのではないかしら?
そして何かを表現するには、自分の弾いている音が正しく自分に聞けていることがとても大事なような気がします。楽譜を見ていると出てない音も聞こえてきてしまうのです。

到達点が見えないと練習が出来ないのかしらね。。。
「塾や学校ではないから、100点満点なんてないのよね」
音楽に到達点なんてないから、プロの人も 「もっと何か? もっと何か?」 と問い続けて、いつまでも続けているのだとおもうのですよ。

今日は何を言いたいのか自分でも分からないけど、私とまったく物の見方が違う人に、私の音楽への取り組みが上手に説明できなかったものだから、ちょっとあわてています。

とにかく自分の感性を大事にして、どんなことでもいいから(楽しそうに、悲しそうに、嬉しそうに、怒りに満ちて、見たいに簡単なことでも)表現してほしいと思います。いつでもクリエイティブな気持ちでいてほしいと思っています。
それをするには、まず、正しく弾くこと・・・・なんだけど・・・・・