午後4時開演
出 演: 佐藤通弘 (津軽三味線)
話音倶楽部第54回のゲストは、津軽三味線奏者の佐藤通弘さんをお招きしました。
ちょうど10年前の2000年の第8回に続き、2度目のご出演です。
1部はいつもの蛍光灯の明かりは使わず、スタンドライト2本のみ。
津軽三味線は、舞台上での調律から音楽がはじまっています。
撥が振り下ろされると、会場全体の空気があっという間に津軽の雰囲気に変わっていきました。
三味線を聴き慣れてくると、調律の音だけで誰の音楽かわかるそうです。
薄暗い明かりの中、三味線のよどみない音を聴きながら、壁に映った佐藤さんのシルエットだけがゆらゆらと動いていました。
本日の1曲目「津軽よされ節」の「よされ」とは「世を去れ」のこと。貧困や凶作の悪い世は去ってくれ!という意味。
津軽民謡には、ただ明るいだけのものはあまりないそうで、お祝いに使うための曲でも、どこかに必ず哀愁を感じるのだそうです。
楽しい夏は短く、収穫の秋もあっという間に過ぎる。そして厳しく長い冬を懸命に生きなければならない、そんな土地柄のためでしょうね、とお話くださりました。
ワインサービスを挟み、2部はいつもどおりの明るい会場で、先ほどよりはリラックスした雰囲気でスタート。
昔、佐藤さんが東京から青森に修行にいった時、津軽弁がわからずに困ってしまったお話。
食事の時に、ご飯を指して「け!」、醤油を指して「け!」 どうやら、ご飯は「食え!」醤油は「くれ!」ということらしい。
本日の『ドダレバチ』という盆踊りの曲も「@!¥$”ドダレバチ’*%〜#」という歌詞の一部分が題名になっているとのこと。
関東で生まれ育った私は、歌詞を聞き取ることができませんでした・・・。
また、『じょんがら』も元々は『じょうから』というそうで、訛って『じょんがら』と呼ばれるようになったのだそうです。
ちょうど佐藤さん世代までの三味線奏者は、曲によって音程を変えて演奏しているのだそうです。
わざと音を外しているのに、「音程が合ってないよ!」なんて言われてしまうこともあったり。
悲しい曲調では音の幅を狭めたり、楽しいと広くしたり。
また、ここぞ!という時の音をわざと外して焦らして焦らして・・・最後にキメ!ということもするそうです。恋愛の駆け引きみたいなものだとおっしゃってました(!)
『夏、宵祭り』では、私たちもお手伝いさせていただきました。
「ほ!」と合いの手を入れてください!とのこと。
合いの手のタイミングがちょうど上拍で、上を向いて、天に向かって「ほ!」と叫ぶのです。
津軽の厳しい自然の中でも、懸命に生きた人がいるのと同じで、私たちも苦しいことがあったり、つらいことがあっても前を向いて行こう、という佐藤さんのメッセージを受け取りました。
演奏中、「世界一!」との声や、拍手が何度もあがり、盛況のままコンサートは終了しました。
すばらしい演奏とたくさんのお話で、濃厚な津軽三味線ワールドを堪能した2時間でした。
(岡村 記)
●プログラム● -----------------------------------------------------------------
第Ⅰ部
・津軽よされ節
・津軽音頭
・津軽三下り
・田名部お島コ節
・津軽あいや節
・津軽じょんから節新旧節
第Ⅱ部
・津軽じょんから節中節
・十三の砂山~ ドダレバチ
・黒石よされ節
・秋田甚句
・津軽じょんから節旧節
・夏、宵祭り ・・・作曲:佐藤通弘
--------------------------------------------------------------------------------------
佐藤通弘 Official Website http://www.tsugaru-michihiro.com
●プロフィール● -----------------------------------------------------------------
1957年 東京都町田市生まれ。
1970年 三味線の稽古を始める。
1977年 東海大学海洋学部三年の夏乗船実習の帰りに、弘前の山田千里師の演奏を聴き
衝撃を受け入門。弘前に移り住み、内弟子として昔ながらの修行を積む。
1981年 師範となり、山田里通の名を許され帰京。
1982年 弘前で行われる全国津軽三味線競技会でA級優勝。
1983年 前年に続き弘前で行われる全国津軽三味線競技会でA級優勝。
東京を中心として独自の世界を求めてコンサート活動を開始。
幅広いジャンルの人々とのセッションとソロ活動で、津軽三味線の可能性の認識を
得る。
この年から1991年まで毎年1、2回の海外公演を行う。
1984年 キッドアイラックホールで一年間毎月一回、計12回の自主公演を行う傍ら、
5月、12月の二度アメリカに渡りニューヨークを中心にソロのコンサートツアーを行う。
1985年 1月 ジョンゾーン氏とレコーディングしたLP「厳流島」をニューヨークで発表。
10月 ニューヨーク、カナダ各都市で17回の演奏を行う。
またこの年より自主公演「津軽三味線NOW」を様々なゲストを招きシリーズ化し行う。
1986年 アメリカロックフェラー財団の奨学金の給付を受け、ニューヨークに留学、新しき津軽
三味線の世界の創造を目指し研鑽を積む。
1988年 スイスのハットハット社よりCD「ロダン」をリリース。
後に日本のクラウンレコード社でも発売される。
また映画「津軽」の音楽を担当。
1990年 銀座小劇場との提携により、コンサートシリーズ「ロダン」を隔月に6回開催し、音楽
ジャンルを越えるインプロヴィゼーションの世界を築く。
1991年 国際交流基金の助成によりニューヨークなど数ヶ所での公演を行う。
1992年 「佐藤通弘津軽三味線楽団」を結成、オリジナル曲を主にした演奏活動を始める。
1993年 ソロアルバム「佐藤通弘の仕事」をモダンミュージック社より発売。
1995年 1月 KYOTO RECORDSより
CD「津軽三味線の世界 佐藤通弘JONKARA」をリリース。
7月 佐藤通弘津軽三味線楽団のファーストアルバム「夏・宵・祭」を
KYOTO RECORDSよりリリース。
なかの芸能小劇場にて“音の回廊”を13回行う。(1998年まで)
1996年 2月 ニューヨークでの舞踏家大野一雄の公演に出演。
3月 東京大学生産技術研究所で行われた日本音響学会で
「演奏家にとって快適な音楽空間とは」という演題で公演。
5月 ドイツのメールスジャズフェスティバルのスペシャルプロジェクトに、
ソロプレイヤーとして出演。
1997年 11月 “音の回廊”で
文化庁より芸術文化振興基金助成金を交付され芸術祭に参加する。
2000年 P.S.F RECORDSよりソロCD「月の凍る夜に」をリリース。
2002年 4月〜5月にかけて「東北浪漫」と題して関東5ヶ所ツアーを行なう。
10月 テレビ朝日系『忍風戦隊ハリケンジャー』にてハリケンジャーのメンバーに
三味線指導を行なう。
2003年 9月 国際交流基金事業として東欧5ヶ国(クロアチア、チェコ、スロヴァキア、
ハンガリー、マケドニア)にて公演を行う。
2004年 6月 JAZZ IN JAPAN5(フランス・パリ)、JAPAN DAY(ドイツ・デュッセルドルフ)に出演。
9月 ユニバーサルミュージックよりアルバム「東北ロマン」をリリース。
9月〜12月 「東北ロマン」発売記念ライブを12ヶ所行なう。
10月 クロアチア、スロヴェニア2ヶ国にて公演を行なう。
11月 黒雨・金大煥記念〜日韓文化芸術フェスティバルに出演。
12月 「アダン」(2006年公開予定)の劇中音楽を担当。
2005年 7月 「杜の中の伝統文化祭」に出演。
8月 韓国のミュージシャンと韓国ツアーを行なう。
(共演:Miyeon、Lee Soon、Park Je Chun)
10月 成田弦まつりに出演。
パーカッショニスト斎藤ノブ氏の企画「DO A NOBU’S Vol10」に出演。
11月 国本武春氏とのユニット「うたざいもん」を都内で行なう。
2006年 4月 アメリカ・シラキュース国際映画祭でソロ演奏を行なう。
またノミネートされた映画「アダン」(劇中音楽に参加)が審査員特別賞を受賞。
8月 日豪交流年(国際交流基金事業)として
オーストラリア3都市(キャンベ ラ、シドニー、ブリスベン)にて公演を行う。
国内外で年間80本以上のステージをこなしながら、津軽三味線の可能性を拡大すると同時に、
常に模索を続けている。
--------------------------------------------------------------------------------------
秋の話音倶楽部は、津軽三味線の世界をお楽しみいただきます。
第8回の話音倶楽部にご出演の佐藤通弘氏が再登場くださいます。
三味線一本ソロライブ
津軽三味線 〜佐藤通弘の世界〜 ご期待ください!!