片岡マンドリン研究所
日記
2007年05月01日  私の原点

昨日、夜遅くに、私の最初に使ったマンドリンがやっと帰ってきました。
     カラーチェの1924年ものです。
     PICT0049.JPG

このHPの私の活動記録のところの写真で私が持っているのがこのマンドリンです。
私はコンクールを受ける数年前までこの楽器を使っていました。このマンドリンは私の父が、就職して最初の赴任手当てで買ってしまったと聞いています。きっとその頃、ハイカラなもの新しいものの一つだったのでしょうね。私の父は、蓄音機、レコード、カメラ、マンドリン、ときっと地味な人だったけど、「新しがりやさん」 だったのかもしれません。 このマンドリン、苦しい時代にも食料に換えられることもなく、良くぞ戦争を乗り越えて生きのびたな〜〜!と思います。
私の兄もこの楽器があったからマンドリンを始めました。そして比留間先生とのご縁も出来たわけです。

私はその後、今使っているヴィナッチャを使うようになり、しばらくしてもう一台カラーチェのクラシコAを持つようになり(今、望月くんや市橋くんが時々使っているマンドリン)、この楽器をあまり使わなくなった頃、鈴木静一先生に「マンドリン貸してよ!」といわれてお貸ししていました。その間に先生の弾きやすいように修理してありました。このマンドリンを使って、ほとんどの曲が作曲され、時には私が呼ばれて、弾いてみては「都合の悪いところを言ってほしい・・」と言われ先生が手直しされていたのを思い出します。 先生は、「出来るだけ沢山の人に弾いてもらいたいから・・・」というのが願いで、どの曲も出来るだけ弾きやすいように・・・・と思っていらしたのです。

先生がまだお元気にご活躍のある日、道でお会いして「先生あのマンドリンは父の形見だから返していただけますか?」とお願いして「それはゴメン!ごめん!」といわれて戻ってきたものです。
その後、発表会などで時々使っていました。

いつか手直ししてと思っていたのですが、なかなかはかどらずにいましたが、思い切って大修理をして、やっと帰ってきました。
この楽器に携わったいろんな先生方のことを思い出しながら、これから少しずつ音を出してあげようと思います。