場所:片岡先生宅(西荻窪)
片岡先生と門下生田島透(テスタ団長)でアンサンブルの構想を語り合う
【誕生秘話】
当時の先生はそれはそれはとても厳しいレッスンをしておられました。私の背中は毎回、汗でびっしょり、緊張の60分でした。合奏の話はレッスン後の雑談で出ました。
私は1977年に片岡マンドリン研究所に入門し、とんとん拍子で演奏技術が身についてきました。当時はそこそこの曲なら何とか弾けたし、上達も目に見えるように感じられたので練習がもう楽しくて、楽しくて。そんな学生時代でした。また、今思うと先生はかなり私に力を入れてくださっていました。
教則本が大好きで、特に技巧練習は結構しつこく練習したものでした。そして1ページ、1ページが終了するのがとてもうれしかったです。それでオデルを3年あまりで完了。その後1980年(大学院2年)にコンクールを……でも壁は厚かった。
学生時代は1日8時間もいやそれ以上練習できたのに、社会人になると練習はなかなかできずストレスのたまる毎日でした。演奏も下手になるし…。
社会人になってすぐに、私は友人のヴァイオリン弾きとアンサンブルを作り(カメラータアンサンブル/ヴァイオリン・チェロ・マンドリン)ヴィヴァルディのマンドリンコンチェルトなどを弾く機会を得、先生にパートナーをお願いして何度か一緒に演奏して頂きました。そのとき体験したアンサンブルの楽しさは格別なものでした。勿論私も学生時代にマンドリンクラブに属したこともあったのですが、学生の合奏とは違った喜びを経験出来ました。
そんなこんなで、社会人になると練習時間がとれず、ソロだけではなかなか進歩が続かず……教則本も遅々として進まずでした。それは、私だけではなく、今でも社会人共通の悩みだと思います。
そんな時、1982年10月21日のレッスン日に、片岡先生から研究所の門下生達で合奏をやってみないかとの話を頂きました。自分もやりたかったので、もちろん即決定となりました。
【新築】
当時、先生のご自宅は新築中のため約1年間西荻窪に引っ越されていらっしゃいました。当然レッスンもその西荻窪で行われました。その家はとても立派な旧家で本当に「お屋敷」で、お化けが出ても不思議ではないとても大きな家でした。
1982年12月に新居完成。引っ越しを12月4日〜5日にかけてされて(私もお手伝いにかけつけたのでした)現在のようになったのでした。
しかし、居間がアンサンブルのために解放されるなんて誰も想像をしていませんでした。小編成ならば練習に使わせて頂けるかな? ……ってすこ〜し期待をしたのも事実でしたが……。
翌年の正月、新居で恒例の新年会が行われました。そのとき初めて合奏の話題をみんなにして参加したい人の多いことを確認しました。その後レッスンで先生から門下生にお声がけをしてメンバー集めが始まったわけです。
田島 透(団長)
結成20周年記念誌 『耀』 (アンサンブル テスタ カルド 20年のあゆみ)より